2015/09/30

絶妙なバランス


朝のエネルギーはやはり格別。
前にも書いたような、もっと
前にも書いたような、まぁ

同じことを、言っています。



静寂というエネルギーが
創り出す世界なのです^^




私の練習とは、いわゆる
『陰』のことであり、
舞台では、『陽』であると
考えております。



陰陽のバランスを
整えることは大事だと
最近、どのような場面でも
痛感しております。



楽譜というのは、素晴らしい財産。


ここにも、エネルギーはありまして、
作曲家たちが創り出した世界を
表現する私たちもまた、創造者です。



やるしかないですよ。
ここまで来たのですからね。




こちらの最後の写真は、
私の住むAsnières(アニエール市)の
お城です。
1700年代のお城です^^



小さいお城ですが、
シンプルで、美しいと
思いながら、いつも
眺めています。



さぁ、動き出す前に
静かな間を作り出そう。


陰陽は、いつも
定まらないもの。

でも、決してどちらも
消えない、飲み込まれない。


今、起きていることは
すべて、私が
歌を通して、成し遂げたい
道へと通じているので、



私は、今できることを
ニュートラルに、
受け止め、行動していくのみ。



そう、意識しながら
一分一秒を生きています^^



実に、シンプルで
軽やかだと今、思っています。




2015/09/29

自らの力を信じぬくこと

歌を歌うときに、すべてが
クリアになる瞬間があります。


歌おうとするのでもなく、
身体を使おうとするのでもなく、


呼吸をするように、
歌っているのです。



そのときに、自分の姿を
鏡で見つめると、


バランスの整った姿勢且つ
オーラがあり、余裕のありながらも
芯をとらえた姿が見えます。



このとき、自らの力を
美しいと思う瞬間です。



そして、この瞬間を、
日常に反映させていくこと。


どんな時でも、
意識をゆるめないこと。



更にそこから、
新しいエネルギーとして
周囲に愛と光を与えること。



自らの力を信じることが
第一歩です。




そして、その力を発揮し
キラキラとParisに生きている
美しい女性が居ます。




それが、
ハイヒール・アーティストのAsami先生
なのです^^



今、また、Asami先生の
レッスンを受けることにいたしました。


久しぶりに会うAsami先生は、
想像していた以上に、
エレガンスでした。


自らの力を信じ、
ここまで、高められている
Asami先生のレッスンを
今、受けることで、


今後の、歌の人生が
大きくステップアップしていくと
思っています。



それもまた、
先生を信じているからこそですが、



何よりも、わたし自身のエネルギーを
信じているからです。



2015/09/27

平穏

主人と、演奏会の映像を
見ました。



私が、大打撃を受けた
例の映像でしたが、


主人は、
画像は悪いから
全然姿勢見えないし、
音もそんなに悪くない




と、仏様のような
コメントを言ってくれました。



そして、わたし自身の
衝撃を話したところ、



Sayuriのレベルでの
話しは解らない。



とのことでした。



いやいやいやいや。




主人は、ハッキリと
物申す人なので、
嬉しいことにはうれしいですが。




でも、結局のところ、
私が行きたいところ、



というのが、ハッキリしたので



良しとします。



ブリュッセル公演、
これにて終幕。





2015/09/26

歌手として生きる

今日は、主人の誕生日会が
両親の家にて開かれました。


主人は、三人兄弟の長男です。


次男家族には、新しい赤ちゃんが
誕生し、今日は初めて対面いたしました^^


私たち4人、次男家族4人、
それから三男、両親とダディ
の、12人で、ケーキ5つという
お誕生日会となりました。



その主人の実家へ行く前に、
CRR de Paris音楽院に寄り、
先生に、ブリュッセルの報告を
して参りました。



この一週間の間に、
記事や写真を、Facebookで
傍観していましたが、

一昨日、関係者から、
映像が届き、それを見ました。



一言に、衝撃でした。



それは、まったく
良い意味ではありません。


何故、私は、あんなにも
拍手を受けることができたのでしょうか?


私の、舞台でのオーラ、
姿勢、声、表現。。。。



すべてすべて、
頭にトンカチで殴られるかのように、
大打撃のショックを受けました。



自分の想像している自分とは
かけ離れた、自分がそこにいました。



私は、この映像により、
初めて、自分の甘さを
自分の世界の位置の低さを
思い知りました。




そんなことを、先生に
報告いたしました。


すると、先生は、


『歌手は大前提だ』


と、おっしゃり、正にその通りと
思いながらも、改めて受け取りました。


歌手は、大前提。


わかっているようで、
わかっていなかったことです。


いたたまれなくなり、
笑い話として、
先生と話すことにより
浄化させようとしましたが、



あまりにも、大打撃で
どうしようもない状態から笑


先生が


『気付いただけでも、よしとする』



『あなたは、歌手だから。それ
忘れなければいいのよ。』

と。



自分を知っていると、
公言するほどまで、言うのは、
本当に、おそろしいことだと
思いました。



どうしようもない自分を
受け入れます。



もう、穴があったら入りたいですが、
入っても意味ないですし、







背水の陣で、もう一度
ゼロから作り直します。



気付かせてくれた映像。


感謝です。



公演後、気付いた
内面の自分が歌となって
表現される、ということ。


愛と光り、そして浄化。
自然の流れ。


そんなことを、感じながら、
映像を見たお陰で、
一週間前の私の
生き様を見つめました。
(ものすごい衝撃を受けたわけですが。)


やはり、今日より明日。



日々、精進して参ります。
歌手として生きるのみ。



2015/09/25

自然の流れ

私は、生きている。



あなたも、生きている。



蝶はとぶ、花は咲く
川は流れ、魚は泳ぎ
鳥はうたい、月は浮かぶ。





私は、今、たまたま
人間としてこの世にいる。



みな、たまたま
何かの形になって
いる。



でも、それは、



自然の流れだから。



私を見てととぶ蝶はいない
私にとまってと思って咲く花はいない
ここで流れたいと思う川はいない
陸を知らない魚、
空を知る鳥、

月はすべてを知っている。





私も、いま、
自然の一部として、
無心に生きよう。



それが、私らしくあること。

2015/09/24

浄化

17時半に、保育園へと迎えに
出発し、次男を受け取り、
そこから直接幼稚園へ
18時半に、長男を迎えに行きます。



今日は、18時頃に、
美しい夕焼けを見ました。


真っ黒の雲と雲の間から
太陽の強く放たれた光に
世界は、真っ白になりました。


向かい側の歩行者も
見えないほどに、強い光です。


身体の底から、息を吐き出し、
その強い光をいただくようにして、
息を吸いました。


ビーンと、鼻の奥に痛みが走り、
涙がポロポロと止まりませんでした。



赤ちゃんを抱っこした
マリア様が見えて、
そこは、いつも見る教会でした。



涙を流しながら、
心の中で整理が始まり、
ポカンと穴が空いたように
感じました。



そして、次男と長男が、
私を見つめていました。


涙を流しながら、
いつもごめんね、
いつもありがとう。


抱きしめました。



空いた穴に、
二人の温もりが入り、
家に到着し、


窓の外を見ると、
真っ黒な雲と雨の
薄暗い世界でした。



それでも、家の中に、
温かい光が灯っていて、
息子たちはそこにいます。




不思議な感覚でしたが、
おそらく、私の中で
浄化がおこなわれ、




私に本当に必要な
大切な愛を、
息子たちが教えてくれたのだと
思います。



いつも、ありがとう。

2015/09/23

愛と光

歌うと言うことは、
表面的なことでは
ありません。




正しい身体の使い方で
正しい呼吸をするということ。



これもまた、
表面的なことでは
ありません。



自分の芯をとらえること。



これも、表面的な
ことではありません。



私は、歌おうとすることにより、
内面、中心、革新、
気付き、発見、目覚め
へと、繋がり、


よって、歌と言う
表現になったに過ぎないと
考えます。



大事なのは、芯です。
中心であり、内面であります。



その状態は、
脳も身体も、正常に機能し
正しい呼吸という安定感もあり、



満たされている状態となります。



それは、
愛と光です。



先ほど、身体の芯が熱くなり
いつもと違う汗のかきかた、
(いつもより少ない)
それなのに、とても熱い


状態から、
このようなメッセージが
ありました。



私は、この状態こそを



人生の根として
大地に張り巡らせるべきと
思います。



愛と光が根であること。


いつもありがとうございます。

究極の癒し

舞台の本番後というのは、
頭のネジがゆるみ、
何も行動にうつせなくなります。


が、今回は、割と
行動しています^^


おそらく、自分の
心地いいことしか
選択しなくなったから。


そして、その選択に
責任をもつようになったから。


そして、それは
癒してあげることに繋がります。



私の場合は、
まだまだ、おこちゃまのように
癒されるレベルは圧倒的に
低く、とても簡単です^^



食べたいときに食べ、
飲みたいときに飲み、
眠りたいときに眠り、
話したいときに話し、
聞きたいときに聞き、
家族のこともお構いなしに
ラララと歌って踊ること。


って、本当に、好き勝手です苦笑


今朝は、とてもいい天気で、
朝のエネルギーをいっぱい
浴びながら、30分歩くと言うのは、
本当に、気持ちよいものです。


30分というのは、
息子の保育園までの時間です。



帰り道、いつものお花屋さんに寄り、
秋らしく、今回はお花ではなく、
葉っぱを選んでみました。
6ヶ月はもつそうですよ。




帰宅したら、家事をさっさとすませ、
ストレッチをしました。


大好きなRAVELの音楽を聴きながら
筋トレもします。



自分が、いいな、面白いな
ワクワクする、どうしようもない



そんな気分があがる
ものと、大切に付き合うこと。


付き合う人もまた然り。


自然体で、
クリアで元気なエネルギーというのは、


本当に癒されます。



そんな自分が大好きであり、
今日も、また、元気に
生きようと思います。


今、目の前に広がる
今しかないこの一瞬に
感謝をこめて、
楽しく生きることは、




小さな悩みなんぞ
入る隙間がなく、



そして、素敵な
楽しい未来を連れてきてくれるのですから。



ありがたいです、
癒されます^^

2015/09/22

フランス語と英語の美しさ

今回、ブリュッセルの公演では
英語が主な共通語でした。


英語の後に、フランス語で
舞台監督から指示されましたので、
何の問題もありませんでしたが、



フランス語にはフランス語の
英語には英語の


素晴らしい美しさがあると思います^^


フランス語には、英語特有の
曖昧な母音はありませんので、
日本人の耳には入りやすいのでは
ないでしょうか?


イタリア語は、もっと
快活で、あっけらかんとした
明るい母音ですので、
使うだけで、元気になるという
私だけかもしれませんが、
そんな特徴があります。



今回、英語に関しては、
かなり脳を使いました。


みな、英語は解る。

そのレベルで会話が成されます。


共演者も、ほぼ、8割がた、
英語をしっかりと話しておりました。



感服です。



フランス6年目にして、
我が家では100パーセント
日本語である私が、


最近になって、
フランス語をしっかりと
話すようになったのは、


やはり、舞台のお陰です。



フランス語と共に、
英語もやはり学ぶべきと
心から思いました。



ちなみに、主人は
フランス人で、英語のみ使う
職業、システム・エンジニアで
TOEICにおいては、900点を
取るような、ぺらぺらで
プラス、日本語、ドイツ語
ラテン語、スペイン語、
韓国語の読みを少々・・・


頭、どうなってんでしょ?



それは、さておき、
同じ人間として、不可能はないと
信じて、フランス語に加え
英語も少しずつ慣れて行こうと
思いました。


英語の美しさは、
話していると笑顔になること。


フランス語の美しさは
話していると美しくなること。


イタリア語の美しさは
話していると元気になること。



私の独断と偏見ですが
それぞれの美しいところに
集中して習得したいと思います^^

(ブリュッセル)

2015/09/21

意識する本当の意味

今日は、フルーティストの方との
三回目のレッスンを行いました。


初回と比べ、音の質が本当に
高くなっており、
それは、彼女の陰ながらの
努力がしっかりと実っているのだと
思います^^


もともと、素晴らしい音を
お持ちではありましたから、


後は、お持ちの感性を
安定した揺ぎ無いものへと
持って行こうと思いました。


その時に、圧倒的に足りなかったものは、
身体の構造の知識と理解です。


支えとはにも書きましたが、
自分の身体を知ることは、
音楽家にとって避けることは
出来ません。



才能とは、気付くことであり、
天才とは、気付いたことを
自分のものにしていくために
ひたすら実践していく人だと思います。


彼女は、今日のレッスンで、
素晴らしい気付きがあったそうです。


意識する本当の意味を
掴んだようでした。


意識するということは、
本当は把握できることでは
ありません。


つまり、無意識の意識なのです。


意味が解らないことを
書いているとは思いますが、
解る人には、解ると思っております。



腹筋を意識し、呼吸の流れを感じましょう。



そういわれて、
意識できるのはどこでしょうか?



おそらく、自分の知らない世界だと
思います。

腹筋が、どんな色をしていて
どんな形で、どう動いていて
どれくらい重くて、匂いはあるのか?
呼吸の流れは、果たして
風のように感じるのか?


五感で探っても、探りきれない
深い意識なのです。


それは、シックスセンス、
人間にしかない能力です。


言葉ではなく、
今日の彼女のように、
ふと、体感できると、

気付きとなり、
あとは、それを深く身体と
脳に記憶させるのが、

地道な努力によってのみ
達成されます。


わたしも、レッスンをしていて
新しい発見を沢山いただいています。


いつもありがとうございます。

ブリュッセル公演終了いたしました。

(Hall Horta)


(Salle Henry Le Bœuf)

(Salle Henry Le Bœuf)

ブリュッセルの、Palait Bozarにある
Salle Henry Le Bœufと言えば、


ヨーロッパ一を誇る音響のホールだと
口をそろえて、言っていました。


有名なエリザベート王妃音楽国際コンクールで
テレビ中継でも映される、Salle Henry Le Bœuf。


9月19日に、ここ、
素晴らしいホールで歌えましたこと、
本当に感謝の気持ちで一杯です。


そして、わたし自身、
とても大切で重要なことを
気付かせていただきました。



応援してくださる皆様、
いつもありがとうございます。



心に誓いを新たに立て、
日々、精進して参ります。

(ハイヒールで会場を走り回りました^^)

2015/09/18

共鳴

月曜日から今日までの金曜日、


Parisの美しき時代の建築の
素敵な部屋で稽古は行われました。


毎日、違う部屋でしたが、
ドアをあける度に、
息をはっと呑むエネルギーの
空間に感謝をしていました。


写真は、禁止となっていたので、
ここには載せられないのが残念です。


壁に、どうしても惹き付けられる
写真が飾ってあり、休憩中
近づいて、見てみたら、


ニジンスキーでした。


何気なく組まれた脚、
片足で立ち、
腕を組みポーズを決め、
美しい横顔、笑顔で
白黒の写真ですが、
色と温かさを感じました。
(宝物にしようと思います)


そして、思い出すのは、
人生に夢をもって生きてますか シャネルとミシアとバレエ・リュスを率いた天才ディアギレフ
kokoさんの記事です。


私は、kokoさんのことを、
ミシアのようだと、思っております^^


ディアギレフという天才に
天才が集まるという、
ミシアも、シャネルも、ニジンスキーも
共鳴されているのですね。


(日々、精進です!)


そして、そのニジンスキーが
舞う姿は、空に静止しているかの
ように、美しかったと。
そんなニジンスキーも
舞台の裏では、死ぬほど必死で・・・


そんなエピソードが
瞬時に、頭に駆け巡りました。



稽古が続くと、
家事への手間をおろそかにしないためにも
時間は、ずれにずれ、
睡眠時間が減ります。


それでも、朝の目覚ましに
パチリと目覚めます。
ニジンスキーよ、頑張るよ。


と、まぁおこがましい事この上ないですが笑



たった一枚の写真でも、
このようにエネルギーをいただける
ニジンスキーという芸術家。


更に、私を応援してくださる
皆様のことを思い出し、
自分を奮い立たせます。


特に、レッスンで出会った
生徒さんの顔を一人一人
思い出します。


生徒さんたちに、恥じない
演奏家であろうと、思います。


今日、レディ・ガガの楽譜を
渡されました^^


明日、歌って参ります。


感謝と愛を込めて
Parisのエネルギー、
美しき人々のエネルギーを

沢山こめに、こめて。笑





いつもありがとうございます^^

2015/09/17

絶え間ない身体への意識

舞台前の稽古で
本番さながらの
集中力と緊張感を
自分で創り出します。



本番使用のくつ、ドレス、
舞台のはけを考え
舞台の大きさを思い
客席の一番後ろの席に
座って舞台を見る人を
想像し、自分を創ります。



緊張感は、ときに、
呼吸を乱し、普段絶対に
怠ることない意識すらも
意識に及ばぬほどに
あがってしまうこともあります。



そして、緊張感がとけ、

『あぁ、何で今はこんなにも
すべてが見えるのだ・・・』
と、衝撃を受けるまでに
視野が狭くなっていることに
気付くこともあります。



思うことは、やはり、
舞台と言うのは、
非日常でありながらも
日常の延長であることを
念頭に置かねばならない
ということです。



日常、どのように過ごしているのか
それが、表現されるのです。



日常で、いかに、
意識を持続しているか。


それは決して、脳だけではなく、
感性、心の部分も大切に
すること。



意識を持続することは、
常に糸をピンと張った状態で
そこに、心がなければ、
ただのキツさ、痛々しさにも
見えます。



何故、糸をピンと張るのか。
何故、意識を持続させるのか。



すべては、
私の歌を楽しみにしてくださる
観衆の心地よさのためです。



その心は、ぶれることがありません。


ぶれることのない心こそ、
絶え間ない意識となります。





2015/09/16

人生、やるか、やらないか

歌っておりますと。



皆さんが、ポカンと口をあけて
私の世界に入り込んできていて、



大きなビズをいただきます^^



音楽の女神が、
『この子、イチオシ!』
って、微笑んでくれているのでしょうか。







でも、こんな風に、

歌って、皆さんが喜んでくれて~


という幸せな今のような
ことが、氷河期のように
冷たく凍り付いていた時期も
ありました^^



2010年の妊娠を機に、
私は、どうしようもなく
バランスを崩しました^^



このことを書くにあたって、
愛する息子や
愛する主人を責めるなんて
感情は皆無です。



崩したバランスを
保とうと、更に
崩れていく様は、



壊れているバケツで
一生懸命水を汲んで
いるほど、無意味な
エネルギーを使っていました。


でも、私は、
その時期を無意味だとは
思いません。


何故なら、その時、
そうすることで、
音楽と離れない
方法であると
ムダであるとわかっていても
フリ、だけでもいいから
やるべきで、
それは、必ず
次へと繋がるはずと
信じていたからです^^



人生は、いたってシンプル。


選択する。
そして、やるかやらないか。
それだけです。


私は、選択し、
とにかく、やれることだけを
やってきました。


それは、今でもそうです^^


凍りついた氷河期に
光が少しずつ少しずつ
あたっていきながらも、


焦ってしまい、
比べてしまい、
落ち込んで、


歌を辞める!と
本気で辞めたこともあります。



それでも、
歌に戻り、
もう一度、
焦らず、耐えることを
学び、日々、受け入れ


また、温かい光が
少しずつ核の部分に
あたるようになりました。



じんわりと
核に届く優しい光を
大事に耐えて感じている



あるきっかけで、
ふと、その光が
核に届き、


その後は、
連鎖反応で、
どんどんどんどん
光が届きます。




今、私は、
その光を存分に
抱きしめています。


そして、またその
暖かな光を、


今度は、
沢山の方へと
わけてあげられるように。


ずっとずっと
静かに届いている光。



近道をしようとしたら
そのぶん、どこかで
時間がかかります。


長い時間をかけて、
しっかりと育てていく
覚悟を。



毎日、続ける習慣。


すべては、
ムダではなく
必然です^^



本当にありがとうございます。

(2013年産まれの次男と今朝撮影)

2015/09/15

幸せの軸

感謝の心は、
スイッチが切れることがありません。



いつの頃からか
ありがたいな~という
何とも言えず温かい
そんな気持ちと共に
Parisを歩いています。


それが、今の私を
創っている軸なのです。




わたし自身、
口から思わず出てしまう言葉
メールで思わず書いてしまう言葉


ふざけ過ぎてしまったり
変に真面目すぎてしまったり
考えすぎてしまったり



ということが多々ある中でも。



誰一人として、
私を責めずに


『それでいいのよ』


と温かく見守ってくださるのです。


真剣で、本気で、素直だから。
嘘がないから。

そう言って下さいます。



涙が出てしまうほど
恵まれていることだと
思っております。



本当にありがとうございます。

心から恵まれていて
ありがたいことだと思うのです。


そんな私を、
大好きだと言ってくださる
みなさま。



必ず、素敵な歌を
届けます。




幸せの軸は
皆様のお陰です。


精進して参ります!

2015/09/14

ブリュッセルへの旅

9月19日に、演奏会のために
ブリュッセルへと行きます。


まだ、Parisの私。
一時間ちょっとで
ベルギーに着いてしまう
なんて素敵な旅でしょう。






プログラムもやっと落ち着き
明日から、怒涛の稽古日が
始まります。



フライングで、今朝、
早速ドイツ語と英語の
発音直しをしていただきました。



明日は、楽器と
音合わせでございます。



オーケストラの
ウィーミングアップしたり
調律している音が大好き。



踊っているように
音があちこちで聴こえます。



そして、指揮者が立ち
ラの音で、全楽器が
調律する瞬間も大好きです。




大暴れしてきます^^

2015/09/13

吐き出しきった息は、どこに入るのか?

音楽家は、呼吸を制するべきです。



呼吸を制する者は
長い音楽家人生を
高いエネルギーで
過ごすのだと思います。



何故なら、音楽家の
演奏するエネルギーとは
非常識の域であり、
それを持続するには、
自然な身体のリズムと
呼吸無しでは、
難しいことだからです。


練習量の多さは、
脳へのダメージ、
舞台の多さは
心臓へのダメージ


演奏家とは、本当に
満身創痍になりかねません。


そして、怖いのは、
才能と言う一言で、
つい、できてしまうこと。


若いうちは、それに加え
全然苦でもなんでもなく
体力も勢力もあり、
回復も早いです。


しかし、40代、50代
はたまた、60,70,80代
となって、
果たして、
20,30代のようにいくか?
というと、奇跡のように
現役の数はごく僅かになっていきます。


70,80代の素晴らしい
音楽家が居ます。

それは、確かです。


ですから、決して
不可能ではないのです。


さて、前置きが長くなりましたが、
出し切った息は、どこに入るのか?
です。


これは、日常生活の呼吸とは
まったく違う強い呼吸が必要では
ありますが、息が入るのは
どんな状況でも一緒だということで。




息は、どこに入りますか?




おなか?
せなか?
おしり?




答え。

肺です。




肺に、息は入ります。


でも、息を吸うと
おなかやせなかが動きます。


それは、そうです。
肺に息が入ることで、
横隔膜がさがります。
さがることにより、
内臓がそのぶん押されます。


肺に息が入る、
というのは、
コントロールすることでは
ありません。

まず、胸骨と肋骨を
つなぐ軟骨が動きます。
それにより、脊椎が縮み、
気圧の差が生じて
息が肺へと入ることになるのです。

軟骨が動いたおかげで
横隔膜はさがり、
内臓が押されます。


逆に、息が出るときは、
内臓が戻ってきます。
そして、横隔膜もあがり
軟骨が動き、気圧の差で
肺の中の息が外へ出ます。

そして、出し切る、というのは、
腹筋を使います。
これは、決して
硬い筋肉ではありません。

柔らかい筋肉で、
必要なぶん、硬く
使う必要があります。


しかし、身体の表面から
触ることができる、
腹筋の意識のことではありません。

もっと、脊椎近く、
骨盤と脊椎の中心辺りの
筋肉の意識です。


これは、正しい呼吸を
身に付けていると、
自然に出来上がっていく筋肉です。


ここをおろそかにしないことが
音楽家としての生命力へと繋がります。

特に、女性は、
生理や妊娠等の
身体の変化もあります。
私も経験して、
自分の身体と向き合って
至る考えです。



呼吸を制するためにも、
毎日の積み重ねが大事です。


それは一見、重要なことでは
ないように見えるのが
また、面白いところだと思います。


わたし自身も、まだ30代に
突入したばかりですが、
70代の元気な師匠を見て
思うことです。



余談ですが、
レッスンで、教えるにあたり、
わたし自身が、こんなにも
情熱的になるのは、
やはり、師匠が
そのようにご教授して
くださったからここそです。

巡り巡っているのだと思います。


ちなみに、長年向き合って
編み出したエクササイズも
とてもユニークです^^


ひとつ、ご紹介いたします。


つま先で立ってください。
そのとき、自分が真っ直ぐ
たっているかどうかを
確認するための
エクササイズです。

つま先のまま、
後ろへ足を出します。
後ろ向きに歩くのです。

すると、身体は
バランスを勝手にとります。


そのバランスを身体に入れ、
つま先立ちのまま、
今度は、進行方向に歩く。

わからなくなったら、
また後ろ向きに歩く。

というエクササイズです。
もちろん、つま先立ちは
足から骨盤、脊椎の
バランスを保つために
筋肉を使います。
なので、筋肉も
しっかりとつきます。

ある程度の筋肉が
出来上がったところで
呼吸を正しく行います。
そして更に使う筋肉が
整えられます^^

後ろ向きに歩くときは
後方をに気をつけて、
横の姿が見れる鏡が
あると、なおいいです。



2015/09/12

息子の挑戦

さて、今日は土曜日。
我が家の新しい習慣が始まりました。



それは、長男Akiの
日本語学校です。


長男は、次男が生まれて間もなく
以外は、毎年恒例のように
一ヶ月、日本で過ごしています。


そのお陰で、息子は
日仏家庭の割には、
日本語を上手に話します。



更に、この夏の日本滞在で
私の父が、

『日本語、頑張って欲しいなぁ』

と言った一言がきっかけで、
日本語学校に通わせようと決めました。


でも、実際に、決断するのは、
息子です。


今日、体験入学をしてみて
息子が気に入らなければ、
他を探すか、あるいは、
ストレスになる程であれば
あきらめて、他の方法で
と、思いながらの体験でした。



しかし、思いのほか、
息子は目を輝かせて
教室から出てくるなり



『楽しかった!
日本語学校楽しいね~』


と、私に抱きつきながら
伝えてくれました^^


というわけで、
これからは、毎週土曜日に
Parisにある日本語学校で
日本語に触れる習慣が
始まります。


来週は、私はベルギーの
演奏旅行があるので、
主人にまかせますが、
主人もまた、
日本語を話すフランス人、
フランスで暮らす日本人親
という新しい出会いに
『無駄ではない』と
感じているようで、
とても協力的です。



息子が、目を輝かせて
何かに夢中になる姿は
本当に自然と優しい気持ちが
湧き上がります。


宿題で、さっそく、
『あ』と『い』を
書けるようになりましょう
と課題をいただきました。


まだ、鉛筆を持つ手は、
文字を書いているようで、
くるくると螺旋を描いて
紙の上だけでなく
どこへでも行ってしまいますが笑


それも素敵なことだと
親ばかですが、そう思います^^


私たちの息子たちは、
さすが、私たちの息子たちであると


やれやれ、半分
そうそう、半分

自由にのびのびと
育っていって欲しいと思います。



2015/09/11

息が入らないのは、息を出し切っていないから

相談でもちかけられるのは


・姿勢が悪いのを何とかしたい
・息が入らない、何とかしたい


の二つが主です。


姿勢が悪いのを何とかしたいのであれば
正しい呼吸法を身に付けることです。


息が入らないのであれば、
まずは、息を出し切ってみることです。


想像してください。



プールの底にタッチしようと
潜りました。

泳いで泳いで、底にタッチし
息がなくなりそうなので、
一生懸命プールの外へ
めがけて泳ぎます。


水面に顔が出た瞬間!


プハァ!っと


息が入ります。




つまり、息は、
出し切れば、勝手に入るのです。


息を入れたいのであれば、

出し切る

というのが、大事です。



そして、出し切るときに、
下から上へと
腹筋の支えによって
流れができます。


その腹筋の支えが
正しい姿勢を導いてくれます。


なので、
・息を出し切る
・腹筋の支えを意識する


と、やってみると、
姿勢が悪いのも改善されます。


さて。
勝手に入る息は、
では、どこに入るのでしょうか?



次回に続きます。

2015/09/10

高いエネルギー

来週の土曜日にある演奏会の
Clémentが、12,13,16日と
本番抱えているので、稽古がキツキツ。


私は私で、
どんな状況になったとしても
準備しとくしかないです。



とあるフランス人に言わせれば

『稽古?いらないよ。
どうせ本番にならないと本気出さないし』


だそうです。


稽古で、本番並みにできて
本番を迎えられるものなのに。



んが、しかし。

Clémentとの仕事もかれこれ
六年目突入ですから、
彼を信じるのみです。


それに、彼もまた、私を信じてくれている。


『Sayuri、君なら、やってくれるよね』


きっとそう。
だから、私は、120パーセントで
自分らしく、準備してますから!!



さて、Corentinの新曲の録音、
毎回、刺激的です。

私が、120パーセント!
と言ってるのが、あれ?
12,0パーセントの間違い?
となるくらい、Corentinという
作曲家はエネルギッシュです。


20歳という若さなのに、
できた人間なんですね。
厳しく、賢く、鋭い!


『曲つくったから歌って欲しい』


の、言葉を、少しも理解していませんでした。


私に求めるものがあるから、
彼は書いてくれたのだ。


なのに、求められたものを
彼にとっては、
一割程度しか出せていないなんて。


という感じです。
笑い話じゃないです、本当。 


Corentinとの合わせの後は 
いつも、興奮気味です。


自分の可能性は無限だ。


ということを、思い出させ
引き出してくれる作曲家Corentin
ビシビシと鍛えられ、

 
Sayuri、君ならできる!
と信じてくれているClément
一生懸命ついていき、


自分を高める努力を
日々怠らず、歌ってまいります!


幸せです、感謝です。
ありがとうございます。


2015/09/08

敬意を込めて・・・

9月に入り、バカンス前の
6月から、無料で行っていた
呼吸のレッスンを、
9月から、有料にし、
レッスンを開始しております^^




私が17歳半から培ってきた
経験から、必要な点を
噛み砕いて伝えるレッスンです。



経験と言うのは、
まず、第一に、声楽家によるレッスンです。
過去に、ついた先生、聴いていただいた先生は
数知れず。

もちろん、レッスン代も払うべき値段を
お支払いしてきました。

第二に、整体を受けたこと。
自分の身体のバランスを、整体師に
整えていただいてました。
18歳くらいからフランスに来る前まで
毎月二回は通っていました。


そこで、骸骨と出会いました笑


第三に、舞台経験です。
舞台に立つと言うことを、
19歳からずっと経験させていただいてます。
そこで知り合ったベテランの
俳優たちから、沢山のことを学びました。

第四に、Asami先生による
ハイヒールのウィーキングレッスンです。
フランスに来て、3年目から
41回受けました。
妊娠中・出産後にもレッスンを受けました。


第五に、医者である父の助けをもらい、
身体の構造をゼロから叩き込みました。



これら、すべての経験を
ブレンドし、レッスンを行っております。


そして、レッスンを受けてみたいと
おっしゃってくださる音楽家が、
声楽家ではなく、
ピアニスト、フルーティストという
方々というのも、
レッスンをしていて、沢山の
学びがあります。


本当にありがたいことだと思っております。


また、今回、レッスンを新展開するに
あたって、Asami先生のレッスンで
行われている、ストレッチを
使用させていただけないかと
相談したところ、ご快諾してくださいました。



それぞれの経験から、受けたことを
伝えるという責任をしっかりと心にとめ、
呼吸というものが、いかに
音楽家にとって要かと言うことを
体感してくださったらと思います。



今日は、作曲家Corentinとの
二回目の録音に挑戦いたしました。
また、この話しは次回に書きたいと
思います。



最後にAsami先生。


ストレッチは、メールにも書かせていただきましたが、
声楽家として理に適ったものであると
確信しております。

私自身も、しっかりと
精進して参ります。

本当にいつもありがとうございます^^

(8区の音楽院の練習室からエッフェル塔が)

2015/09/06

9月19日の演奏会の詳細

今月、9月19日にあります、
ブリュッセルでの演奏会
の詳細を載せたいと思います。



BOZAR 

Opening Night

2015



欧州世界遺産記念日と
ブリュッセルにある、ボザール邸の
シーズン・オープンの日である
2015年9月19日。

La Chambre aux échosは、
かの有名な建築家ヴィクトール・オルタの
手によって創られた美しきホールにて
前代未聞の型破りな音楽祭を提供する。


La Chambre aux échosと共演する
歌手、作曲団、電子音楽、オーケストラ
様々なジャンルで、ソロ、オーケストラ曲を
Henry Le Bœufホールにて、
19時から22時まで、演奏披露する。

オルタ氏によって草案されたこのオマージュは
私たちLa Chambre aux échosに忠実であり、
偏ることない様々なプログラムの共鳴は『美しき芸術』となる。
事件なのか演出なのかという新しい聴き方を提供する。

流行歌や現代曲、それこそ、
ワーグナーからクルタックまで網羅するに至る。

映画と度を越したオマージュが、
時に、クラシック音楽の精霊を呼び起こす、
そう、あのスタンリー・キューブリックのやり方でもある。

(画像はお借りしました)

23時半の閉幕は、オルタ・ホールにて。



・・・



クラシック音楽、オペラに加えて



実は、レディ・ガガを歌うことにもなりました!


面白そうです。



クルターク氏の曲は、
もう、本当に美しいのですが、
わたし自身、音が追いついていかぬ
もどかしさを、味わっています。

けれど、あと二週間。
クルターク氏の曲を
これこそ、彼の求めた音と
演奏できるとこまでもっていきます。


精霊を呼び起こそうと思います^^
(と思ってできることではないので
天におまかせいたしますが笑)

ベルギーにいらっしゃる皆様。
是非、事件なのか?演出なのか?
と想像を超えるエンターテイメントと
なると思いますので、
是非是非、お時間ありましたら
いらしてください。

2015/09/05

五分の勝ちが最上

普段、まったく更新がストップしている
フランス語の拙ブログに、
日本語の記事【9月19日のお知らせ】を
間違えてアップしておりました。

後ほど、こちらのブログでもアップします^^



ところで、今日、ふと、目にした記事があり、


【十の勝ちは危ない、五分の勝ちが最上】
(甲陽軍艦より)


という一文に、なるほどーと頷いておりました。


まず、甲陽軍艦という書物ですが、
江戸時代初期に編纂された軍書。 20巻。甲州流の軍法,兵法を伝える目的で,武田晴信 (信玄) ,勝頼2代にわたる事績,合戦,刑政,軍法を記し,さらに甲州武士の事績,心構え,理想を述べたもので,特に軍法の記述に中心がおかれているので軍鑑といわれる。

だそうです。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より)


19歳のときに、まさにこれを体験したのですが。。
17歳6ヶ月目ではじめた声楽でしたが、
わずか8ヶ月と言う期間で、音大にストレート合格し、
19歳で、学部一番となり、そのきっかけとなったのが、

まさに、十の勝ち、と言えるような、
神がかった演奏を、したことによります。

ロッシーニ作曲のセヴィリアの理髪師の
登場人物、ロジーナのアリアと、
フィガロとロジーナの重唱で、
出すのが大変な高音を、
舞台でスコーンと出したのです。

あのとき、私は無我夢中であり、
自分が何をしていたかもわからず、
ただただ、音楽が先行し
私を、恍惚の世界へと導きました。


それは、十の勝ちでした。


勝つことに、文句のつけようのない
誰もが、『この子、誰?』と
なかなかつかない、点数もいただき、
一番となりました。


さぁ、そこから、順風満帆か?
と言うと、そうはならなかった
『十の勝ち』でした。

波に乗ってしまった演奏と言うのは
本当に神がかりであり、
歌の女神が、気まぐれに
光をあたえたような、
ラッキーなことだと思うのです。

どんなベテランの歌手でも、
毎回毎回、経験できるものではないのでは
と思うようなことでした。

それが、当時、まだ歌をはじめて
二年ちょっとの19歳が経験したのです。


大大大大スランプの始まりです笑


自分には、あの演奏ができる
と、そこに拘り始めてしまったのです。

十の勝ちには、直すところがありません。
すべての運とタイミングがそろいにそろった
そういう奇跡の出来事であると思います。


結局、私は、
十の勝ちは危ない、五分の勝ちが最上
という言葉に、深く感銘を受けたとしても、


十の勝ちに拘っている
十年以上経った今でも、
私は、そこに向かっているのだと
そういうことに、気づきました。


もちろん、拘りというのは
長い年月で、随分と柔らかくなり、

今では、
『また経験できたらいいな~
そして、できたら、次こそ
奢ったりせず、真摯に
努力することはやめない
から、お願いします。』
と、いう感じです。

充分拘っていますかね?笑



音楽を続けており、
フランス、フランス国外で演奏があり、
その私に共鳴してくださり
作曲したいと言ってくださる方がおり、
『レッスンを受けてみたい』と
おっしゃってくださる方がおり、



本当にありがたいと思います。



五分の勝ちが最上を
八分の勝ちで行こう


十の勝ちは、この人生で
味わえたらいいな、


そんなことを、思った
一文でした。



2015/09/04

立ちはだかる壁を乗り越えるという過程こそ成長の醍醐味

『何故、Sayuriが主役かと言えば、
まず、この役は、Sayuriの声に合っている。
それから、私たちはSayuriと仕事がしたく、
常に、とても心地いいと知っているからだ。
更に、Sayuriは、この作品を表現する耐久力を持っている。
Sayuriにとっても、私たちにとっても
素晴らしい経験となると感じている。
だから、Sayuriに、歌って欲しいと思う』




長きを経て、私はいま、
舞台の依頼を受けるところまできた。



私は、それに応えるべく、



フランス語を克服し、
西洋音楽を根っこから愛し、
ひとつの舞台へと、
情熱を掲げる。



長い長い道のりの、
スタートラインの、少し手前だ。


スタートラインで、
『Ready ?』と
聞こえて、構える姿は
きっと美しいだろう。


スタートの鉄砲の音は、
まるで、シャンパンをあけるように
鳴り響くだろう。


冷たい手と、震える足を
ドクドクと脈打つ心臓が
支えるだろう。






私は、音楽に情熱を注ぐことが
たまらなく、楽しいのは、




生きていると実感するからだ。


そのために、
壁を乗り越えよう、
克服しよう
自分に勝とう。


と、今、そう感じる人生に
感謝している。



来年、コペンハーゲンでの舞台は、
ソロ・主役での出演が公式に決定いたしました。
冒頭は、その日本語訳です。





ありがとうございます!!
頑張ります!

2015/09/03

支えとは・続

『マダム!靴落とされましたよ!』



ベビーカーから、裸足になった
次男の足がひらひら、見える。


『っあ!!』
と、驚いて、振り返ったら、
次男の落とした靴を持って、
私を呼び止めた方が居た。


・・・・


この瞬間、私の支えはなかった。


私は、ベビーカーを押すときでさえ、
舞台に立つ意識で歩くのが日課。


けれど、こうして、日常には、
沢山のトラップがしかけられている。



私は、つまり、

支えとは、意識を及ぼすこと


ということだと、思った。


ベビーカーから、落ちた靴を
拾うなら、まだ意識できる。


けれども、知らぬ間に落ちた靴を
さらに、突然呼び止められて
振り返る際に、

意識は、ッポーンと抜けてしまう。


その意識が抜けた瞬間、
支えはおろか、舞台人としても
何もかもが、塵と化す。


それが、支えだ。
だから、答えはないのですが、
いかに、意識できるかどうか、


そういうことを、極めていくことだと思います。


2015/09/01

支えとは

声楽家にとって、【支え】とは、
答えがありそうで、ない、
一生探し続けていく部分です。



支えを、考えるには、
自分自身の身体を知ることが大事。


自分自身の身体を知るには、
誰かに見てもらうか、
毎日鏡の前で見るかであり、



その見る際には、



見た目ではなく、
見えない部分である、
骨格を見なくてはいけない。


骨格を見るには、
骨格を知ること。


つまり、自分の骨格が、
緊張のない状態で、
上下に伸びるように、
自由である状態でいることを
自然の状態であるとし、


その状態である上で、
必要な筋肉が、
必要な分量だけつき、

それが、【支え】へと繋がります。


歌う際に、息がなくなり
フレーズが尻すぼみになるのは、

何故か?


息がなくなる、という意識が
必要以上に身体に緊張感を与えてしまい、
自分で苦しい状態にしてしまっている


という例がある。


では、息がなくなる、
とか、苦しくなる
という意識を変えるには、
どこに働きかければいいのか?


肺の位置を知り、
肺の動きを知り、


肺の周囲を囲む肋骨と胸骨を知り


肋骨と胸骨は、
自然な呼吸状態でどのように
肺へ空気を送ったり出したりするのかを
知る。


その肋骨たちは、
とても太く頑丈な
脊椎によって支えられ


脊椎は、骨盤によって支えられている。


骨盤が、どれだけ
大切な要となるか、
(骨盤のマッピングの必要性にも書きましたが)


それをイメージするだけで、
【支え】とは、ただ漠然とした


『何かによるはたらき』とかではないことが
わかる。


人は、筋肉が働いていると感じると
安心するけれど、


もっと、もっと、
奥深くの神経と筋肉の連動、
人が、感じることができない部分に
意識を向けていくことが大事だ。



感じることができない部分に
意識をむけることができる


それは、人間の脳だけができる
素晴らしい能力である。


筋肉で歌うのではなく、
脳で、歌うのです。