2016/10/25

La passion de Simone

La passion de Simone
『シモーヌの受難』



この作品は、もともと
オラトリオとして書かれた。



カイヤ・サーリアホ作曲
アミン・マアルーフ脚本



シモーヌという女性。



1909年生まれ、1943年亡くなる。




ユダヤ人であり、女性であった
当時の彼女の生きる道は、
あまりにも、想像できぬ
苦しみ、憎悪があったに違いない。




シモーヌは、その運命を
受け止め、更に自らの
原動力へと換えるという
誰もが避けて通ろうとする
道を生きることを選んだ。





彼女の生きた道、生き様は、
後世に光となって輝きを
残し続けている。




彼女は34歳という若さで
この世を去っている。



何故、死んでしまったのか。




脚本家であるマアルーフが、
彼女の生きた道を辿りながら
その答えを探そうとする。




そこに、サーリアホが作曲。
サーリアホ自身も、シモーヌの
数々の遺作から影響を受けた。




2013年にサーリアホは、
自身の子供たちのために、
室内楽版をつくる。




サーリアホの息子は
演出家としてこの
室内楽版『シモーヌの受難』に
演出をつけた。





La chambre aux echosという
ラ・シャンブル・オ・ゼコと読むが
サーリアホの息子と
その友人らで立ち上げられた
この団体は、2013年から
フランス国内、ヨーロッパ各地で
この室内楽版『シモーヌの受難』を公演している。




この室内楽版の登場人物は、
ソプラノソロ、
ソプラノ、メゾ、テノール、バリトンの
4人のコーラス
そして、語り手という
6人である。




ソロやコーラスに
特別に役名はない。





今年の6月には、
ニューヨークで
別の団体が室内楽版で
初演を果たした。




私たちは、その次に続く
第二弾として、
ニューヨークで
来月、公演が予定されている。





私は、ラ・シャンブル・オ・ゼコ
という名前がまだ無かった2009年の
初期から、ともに仕事をしている縁で、
シモーヌの受難は、
2014年のクレルモン・フェラン
というフランスの真ん中にある
街での公演から携わっている。





2016年1月にはデンマーク初演歌った。




そして、来月のニューヨーク公演、
更に、来年の5月にはノルウェー公演で
この作品を歌うこととなっている。




シモーヌの求めたすべては
誰もが求める魂の欲求であり、
誰もが手にすべき、真理なのだ。




ただし、ひな鳥のように
口をあけているだけでは
到底味わえるものではない。




自らが行動を起こし、
求めようとしたその過程こそに
答えがある。




シモーヌが死んでしまったことは
たしかに、非常に残念である。





キリストは言った。




『主よ、何故私を見捨てたのですか』




どの魂も、孤独であり
楽な道も、過酷な道も
生き行く先は同じなのか。




La passion de Simone








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2016/10/24

すべては注意力

舞台に立つとき
360度すべてに注意を払う。




どこに照明があって
どの角度が一番映え、
客席から見て見ごたえが
ある場所に注意し、




正しい呼吸ができるよう
姿勢に注意し、




いかなる時も、
役であることに注意し、





物語を進めていくことに
注意をし、




音楽と一体となることに注意する。









日常をどう過ごすか。




すべては、注意力。






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2016/10/22

守ることと逃げることの相違

バカンスが始まり、
時間配分に脳を使う。




バカンスなのだから、
子供との時間を大切に
しようとする時、
自分の軸が判断をくだす。




それは、守ることなのか
逃げることなのか。




母親である前に、
私は女であり、
アーティストである。




その一線を引く判断力と
決断力は、決して
他人任せに出来ることではない。





不可能である。




誰が、なんと言おうとも、
私自身の判断で決断することだ。





そして、そこに、責任が伴う。







どう生きるのか。




難しいことではなく、
いたってシンプルである。




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2016/10/20

自分の人生を心から愛するとき

フランスで仕事をしているのだから、
フランス向けに、ブログを書くことも
ありなのだと思っているが、
とりあえず、ツィッターで
簡単に呟いている。




https://twitter.com/sayucoco





今日から、二週間の
秋のバカンスが始まった。




普段、朝は全く余裕なく
学校に出かけているので、
ゆっくりと朝食を取れるのは
とても有難く、幸せである。




5歳と3歳の息子二人の
成長もあって、三人で
過ごす時間は本当に楽しい。




愛する夫と、大切な息子二人が
ここにいる、というだけで
本当に、心から幸せである。




とても気楽に過ごせる
家族の形に、心から
感謝している。




バカンスで、息子二人が
いる、と言えども、
私も夫も習慣はほぼ変わらない。




むしろ、息子二人を
言い訳にして、
自分の夢を諦めたくない。




さらに言えば、
諦めたくないならば
人一倍の努力が要不可欠であり、
息子二人のおかげで、
今の私という軸ができた。




結婚しても、
二人の子供のお母さんでも
私は、歌を歌い
舞台に立ち続ける。




感謝の気持ちが自然と
沸き上がる。




愛する家族と共に生き、
大好きな舞台を仕事とし、
感謝の日々を過ごしている。




なんて幸せな人生なのだろう。




この豊かな気持ちが
より一層緊張感のある
美しき努力の世界へと
私を導くのである。










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2016/10/19

美しき空間に生きる

長男の日本語学校に行く為、
毎週水曜日は、Parisへ行く。




Parisに立つ度に、
何とも言えない
幸せな気持ちが
溢れ出てくる。









日々、高める為、緊張感の中で
生きる私にとって、最高に
心地良いと感じる感覚がある。




それは、決して慢心している訳ではなく、
むしろ、Parisの波動に合わせて
緊張のスイッチが入るのが
たまらないのである。








美は、人を動かす。





人は、美に触れずして
生きてはいけないものだ。






Sayuri ARAIDA HP

2016/10/18

一瞬一瞬が未来を創り出す

もう10年以上前になる。
メゾの素晴らしい歌手が
こんなことを言っていた。




『皆様は、舞台に立つ、
あるいは、人前で歌う、
となりますと、水を得た魚のようです。
さぁ、何故、それを
練習時になさらないのですか?』




この話を聞いたのは
私が19歳の時であったと思う。




全くその通りであると同時に、
アーティストというのは、
つくづく、己との闘いであると思う。





そして、今私が思うのは、
本番以上の緊張感を
稽古時に創り出し、
その中で、集中することが
必要だということだ。




本番に向けての努力ではなく、
日々の努力の結果が本番なのだ。




稽古時に、本番以上の
集中力を創り出さねば、
自ら持っている力を
出し切ることができない。





さらに言えば、
本番では絶対に出来ないことも、
稽古時では出来るという点もある。




負荷をかけるのである。





水面下で何が起きているかは
見えないものだ。




最後に舞台袖に戻るとき、




満ち足りているかどうかは、
日々の洗練された稽古にある。












Sayuri ARAIDA HP

2016/10/17

自らのエネルギーを高める

ブログを再開してよかったと思う
大きな恩恵のひとつに、
ここに公言した限り、
更なる精進を自ら
率先して行っていくことに
責任感が増されたことにある。




以前は、ブログはブログ、
現実は現実と、かなり
ドライに書き分けていて、
自分でも、何故そうしていたのか
笑ってしまいそうになるが、
完全なるフィクションでは
なかったように思う。




笑ってしまうのは、
それは、とても小さなブライドが
そうさせていたからである。




その小さなプライドで
しがみついていた自分を
心底、見直すべきだと思い、
ブログやFacebookから離れていた。




今は、その時の自分が懐かしく、
幼かった、と思うと同時に、
それでも、一生懸命だったことに
有難うと思っている。





そして、過去の記事を
消すかどうかも迷ったが、
未熟な私の成長の記録でもあるので、
このまま残しておこうと思う。




また、小さなプライドで
ガチガチだったなりに、
本質を貫くような言葉が
あるのも、確かで、
その時は、上手に表現できなかったが、





変わらないものは
変わらないのだ。





それにも、気付けて良かったと思う。









もう後にはひくまい。




突き進んでいくのみ。







Sayuri ARAIDA HP

2016/10/16

身近な人から受け取るもの

美しき日曜日。


久しぶりにコート無しで
溌溂と散歩できる気持ちの良い
天気の中、



家族とランチを過ごすために
Parisへとでかけた。


今日のトリニテ教会


夫の母が作る、ブランケットを
7人で美味しいと言って食べる
週末の光景は、私を無条件に
豊かな気持ちへと連れていく。




まもなく、秋のバカンスなので、
話の内容も、バカンスをどう
過ごすかで、持ち切りで、
オヤツの時間には、
夫の弟家族もやってきて、
総勢11人で、ティータイムを
楽しんだ。





これも、週末のよくある光景。





家族と過ごす週末は、
私の緊張感をほぐしてくれる
大切な時間となっていて、
また来週、笑顔で会えるようにと
ビズ(キス)をして別れる際には、



温泉にでも行って、ゆっくり
過ごしてきたかのように、


癒されている。




そして、また今週も
美しき一週間となるよう、



自らの世界を創り出し、
高めていく。



家族との時間は、
とても大切な時間である。




Sayuri ARAIDA HP

2016/10/15

地道な努力を続ける理由

息子二人を、Parisに住む両親へ預け
夫と共に、短いながらも、
ローラースケートで遊んだ。


今から5年前、長男を出産した後、
一度だけ、ローラースケートをしたが、
筋肉が落ちているのもあり、
バランスも取れずに、
ただ疲労するだけに終わり
5年間、しまってあった。




私の場合、一人目も二人目も、
切迫気味だったこともあり、

妊娠後期は、なるべく安静に、
と、一日3分の2は、ベッドに
いる生活をした。




それにより、筋肉が落ち、
次男を出産した後は、


コツコツと、その筋肉を
戻すことに集中していた。




そして、今になり、
ようやく、筋肉のどこが、
どう繋がることで、


美しい呼吸で、歌を歌うのか、


そういう感覚が見えてきた。



そして、身体と呼吸の
コネクトが感じられるようになった


今の感覚で、
ローラースケートをしたが、



自分でも驚いた。



何故なら、はっきりと、
骨盤底筋の力を感じたからだ。



それは、今から何年も前、
日本で、実家から駅まで
自転車をこいでは
使っていた筋肉である。



妊娠と出産という経過で、
久しく掴めなかった筋肉であり、


とても感動した瞬間だった。



そして、この骨盤底筋が
しっかりしていること。


これは、歌にとり
とても大きな支えとなる。






産後の3年半という歳月、
地道な努力が、
私にとり、花開いた瞬間。



何があっても、
諦めず続けること。



「筋肉の感覚を掴み
納得できる歌を歌いたい」



この一点に集中している。



緊張感を創り出し、
余計なものをそぎ落とし、
必要なものを極めていくこと。



それは、地味で目立たない
地道な努力という行動により



見える感覚である。



この凛としたエネルギーは
その行動による恩恵である。



日々、精進である。

Sayuri ARAIDA HP

2016/10/14

何を目的に生きるか

ブログの更新を再開した理由のひとつ。



やはり、伝えたいことがあるのである。



舞台で美しくあるために、
自らがどのような行動を起こし、
どのような恩恵を受けているかを



独り占めしているよりは、
ブログで発信し、少しでも
循環していけたらいい、


そう思うのだ。



がしかし、



ここに、エゴを混ぜることはしない。



成功を得たくて、
富が欲しくて、
賞賛を浴びたくて。



そんな感覚はゼロである。



ただただ、自分が生きている
この、素晴らしき道を、



どうか、諦めようとしている方が
いるのなら、



諦めることなく、
道は自分自身で切り開いていけるのだと



そういうことを、



歌を通して、証明したいのである。



繋がりを求めるのではない。



ただただ、純粋に、
この美しき世界で
共鳴することができるのなら。







信念を貫いて、
道は、
切り開いて生きていける。





Sayuri ARAIDA HP

2016/10/13

共鳴を生む「間」

美しさを生かすも殺すも



すべては「間」が鍵だ。



「間」は、美しき共鳴を起こす。



昨年の11月の私の誕生日を
きっかけに、ガトー作りに
はまっている夫と、


昨夜は、ふたつのガトーを
作るのに、私も参加した。



1年近く、ガトー作りを
しているだけあり、
手際よく、必要な動きを
効率よくこなしている
夫を横に、



アシスタントとして私は、
夫の指示待ちでその姿を
観察していた。



夫は、とても器用だ。



理解力も長けているし
手に入れた知識を実践するのも
本当に、見事だ。



ガトー作り初心者の私に、
どうのように説明すれば
私が一番良い仕事をするかを


瞬時に判断し、的確に伝えてくれる。



初心者の私は、与えられた仕事を
こなすと、次の指示を待つが、



夫のその姿に、無駄はなく、
彼の的確な指示により、
私もまた、無駄をせずに



いきいきとガトー作りに参加していた。




もちろん、出会ってもうすぐ7年という
歳月があり、彼が私の性格を把握している
というのも、ある。



けれど、その無駄のない
空間と時間は、非常に
心地いいものであった。



そして、有難いことに、
今共に仕事している仲間もまた、
まもなく出会って7年が経とうとしている。



彼らと仕事を続けている中で
彼らの「間」が非常に心地いい。



マエストロの「間」
演出家の「間」
スタッフの「間」
演奏家たちの「間」



各々が各々の、役割を
無駄なく思う存分発揮している。



私の「間」が生きるのは
彼らの存在無しには
絶対にあり得ないことである。



グラスを一人で掲げても
音は鳴らないが、

もう一つのグラスを掲げると
共鳴する。



相手の存在で、自分の存在を知る。








共鳴がすべてであり、




生かすも殺すも、
己の「間」がすべてだ。








Sayuri ARAIDA HP

2016/10/12

ぶれずに、生き抜いていく

月曜日、火曜日と二日間
家族の支えあって、
体調を整える時間を作れた。




体調を崩し、まず思うことは、
健康の有難さである。




そして、体調を崩しながらも、
ぶれずに、意識する美しさ。




決して、猫背にはなりたくないので、
首の位置だけでも、整える。




今朝、全快とまではいかずとも、
習慣である、二時間の運動ができ、


筋肉が落ちていることを痛感し、
息たえだえにも、体を動かせることに、
心から、歓びを感じた。




水曜日は、Parisに出て、
長男の日本語学校へ行き、
家に戻ったら、次男の
バレエ教室へと付き合うので、

朝の二時間のトレーニング以上は
子供との時間になる。




けれど、それでも、
決して、私は、ぶれずに
歌手であることを
貫く。




貫く、と書いたとして、
それを、貫き続けることの
緊張感は、ただ事では済まない。



が、私は、その緊張感で過ごす自分を
たまらなく、愛しているので、



どんな時でも、1パーセントでも
歌手としてのSayuriを創り出したい。








この緊張感がたまらない。





Sayuri ARAIDA HP

2016/10/10

心の声は歌になる

私は見守られている

私は何かに包まれ、守られているようだ



私はラッキーだが、
ラッキーの源は
陰で支えてくれいる方々が
見守り、包んでくれているから


私は、幸運に包まれている


有難いこと



私が、ラッキーで
恵まれていて、
幸せなのは、

私が、そう思い、
それを続けようと
努力し続けることができるのは

舞台で美しくありたいから
日々を美しく過ごそうと
行動できるのは


すべて、あなたが
見守り包んでくれているからです。


本当に、いつも有難うございます。

私は、心から感謝をし
時間を捧げ、進化して参ります。



Sayuri ARAIDA HP

2016/10/08

創り出す世界

自分の不器用さに自信を無くし

自分の体力の限界に苦しみ

それでも、いいものを創りたい

目の前にいる仲間、

そして、この舞台そして

何よりも、

見ているお客様のすべてが

美しいものを、見たと

満足していただけるように。

さぁ、飛び立とう。



Sayuri ARAIDA HP