自分は歌が軸なのだ。
そう感じる日々を
日本に来て過ごす。
溢れ、飽和状態の
この情報社会で、
一体、何が本物で、
何が偽物なのか。
一切は、混沌とし
正解などないのだ。
では、その中で
何を信じるのか。
それは、己の感性。
少しでも違和感があるなら
私には合わない情報。
その感性は、
一夜漬けで
手に入れた
ものではない。
背中を丸めて生きるか
背筋を伸ばして
生きるか。
己の選択であり
己の歩いた道程
そして、今の選択が
未来を連れてくる。
私は、歌を歌い、
使命感と共に、
楽譜と向き合う。
自分の感性に
耳を傾け、
研ぎ澄ますには
日常の生き方が
如実に反映される。
それこそ、背中を
丸めて生きているか
背筋を伸ばそうと
意識して生きているか。
それだけの差。
ぶれぬ軸は、
私を支える。
2018/11/21
2018/11/15
情熱の限りを尽くす
ブログの書き方すら
思い出せないほどの
久しぶりの投稿だ。
昨年、12月には
フランスを離れ、
日本で物件探し
あっという間に
一年が経とうと
している現実。
ふと思い立ち
ブログを書こう
久しぶりに熱を
感じる感覚。
去る11月11日は
私の34回目の誕生日。
この日、私は、
神奈川県民ホールへ
友人が出演する
演奏会へと足を運んだ。
足元には、ハイヒール。
Parisでずっと履いた
大切なハイヒール。
踵に体重を乗せることなく
一歩一歩ぶれずに歩く。
骨盤を動かさず、
インナーマッスルを
連動させ、スっと
出す片足、支える片足
その連続で、歩く。
美しく歩くことは
芸術であり、
芸術とは、己の
精神の表れに過ぎない。
足元がハイヒール
たったそれだけの
条件にも関わらず
圧倒的なオーラを
纏うことができる。
私は、生きている
そう感じた。
スニーカーや
ヒールのない
靴でももちろん
美しさがあり、
美しく鍛え上げられた
夏の裸足のバカンスなど
本当にうっとりするものだ。
けれど、それは、
一回でもいい、
ハイヒールを
正しく履くこと。
この筋肉が
その美しさを
造り出している。
日本では、
女であろうとすることに
意識が薄れているか、
女であることがまるで
悪かのように
とらわれているが、
特に、母親という
女性に対して。
母親であろうが
女は女である。
女を忘れずに、
あきらめずに
生き抜いていくことは
情熱の限りを尽くすこと。
私は、確固たる信念をもって
これからも、生きる。
思い出せないほどの
久しぶりの投稿だ。
昨年、12月には
フランスを離れ、
日本で物件探し
あっという間に
一年が経とうと
している現実。
ふと思い立ち
ブログを書こう
久しぶりに熱を
感じる感覚。
去る11月11日は
私の34回目の誕生日。
この日、私は、
神奈川県民ホールへ
友人が出演する
演奏会へと足を運んだ。
足元には、ハイヒール。
Parisでずっと履いた
大切なハイヒール。
踵に体重を乗せることなく
一歩一歩ぶれずに歩く。
骨盤を動かさず、
インナーマッスルを
連動させ、スっと
出す片足、支える片足
その連続で、歩く。
美しく歩くことは
芸術であり、
芸術とは、己の
精神の表れに過ぎない。
足元がハイヒール
たったそれだけの
条件にも関わらず
圧倒的なオーラを
纏うことができる。
私は、生きている
そう感じた。
スニーカーや
ヒールのない
靴でももちろん
美しさがあり、
美しく鍛え上げられた
夏の裸足のバカンスなど
本当にうっとりするものだ。
けれど、それは、
一回でもいい、
ハイヒールを
正しく履くこと。
この筋肉が
その美しさを
造り出している。
日本では、
女であろうとすることに
意識が薄れているか、
女であることがまるで
悪かのように
とらわれているが、
特に、母親という
女性に対して。
母親であろうが
女は女である。
女を忘れずに、
あきらめずに
生き抜いていくことは
情熱の限りを尽くすこと。
私は、確固たる信念をもって
これからも、生きる。
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