2015/03/31

Les enfants du Paradis

Paul Verlaineの詩、
『Pantomime』(黙劇)に
ドビュッシーが作曲したのは
1882年4月のこと。


この歌曲を歌うにあたって、
今日のタイトルである
『Les enfants du Paradis』(1945)
(天井桟敷の人々)
という映画を見るべきだと教わり


さっそく、DVDを購入し拝見しました。


一言に、美しい映画です。


一部と二部に分かれている
長編ではありますが、
主役のピエロの一途な恋を軸に
劇中劇のピエロの舞台もまた、
面白く、あっという間に見終わってしまいました。


黙劇の主役、ピエロ。

ピエロは、純粋で
人々を喜ばせます。

私がピエロを好きなのは、
その純粋さが、役をどこまでも追及する
探究心となり、
人々を喜ばせるために、
身体をどこまでも鍛え上げるという
ストイックさが

自分と重なるからだと思います。


ピエロは、美しい。
美しいから、醜くなれるのです。

醜いから、純粋になる。
純粋だから、あどけない。

私は、ピエロのファンかもしれません。笑



そして、この映画の撮影時、
1945年のパリは、
今のパリのままなのもまた、
美しいひとつの理由です。


パリは、変わらないのですね。



パリは、パリで、
いつも、人々を恋に誘い
艶やかに人を美しく魅せます。


確かに、ドビュッシーの黙劇を
歌うならば、この映画を見ることは
おすすめです。

そうでなくても、名映画だと思います。

お時間ある方は、是非見てみてください。


2015/03/30

時間

一分一秒、日常の過ごした方ひとつひとつが、
未来の自分を創ります。



意識を続けること、
自分の意思を持ち続けること、
自分の選択を自覚すること。


今、ここの生き方が、
未来を創ります。


時間は、皆平等に与えられ、
自由に自分の人生に投資していいのです。



誰かのために使わなくていいし、
誰かに奪われることもない。


誰かのために使う、
誰かに奪われる、

というは、自分が選択した時間の過ごし方
というだけです。



それも、自分のために投資していると
視点を変えると言う、選択肢もあります。



私は、時間というものが、
こんなにも、ドシっと構えてくれる
大きな味方になるという気づきに、


何ともいえない安心感を持っています。



2015/03/28

『だからこそ』のエネルギー

先日、オペラ・ガルニエでの演奏会。



それは、私が受けたかったオペラ・バスティーユ劇場の
2014年度研修生によるガラ・コンサートでした。



そこに、生粋のフランス人はおらず、
皆、外国人として、研修所に入り、
華々しいデビューを果たしました。




フランス人が皆無、あるいは少ないのは
パリの音楽院でも同じことです。



私が通う声楽科には、
外国人は8割を占めております。




私は、これこそ、素晴らしい
国境無き世界と思うと同時に、



いかなる環境であっても、
自分の意思で、道を開くことを
許されているということでもあると思います。



『外国人だからこそ』
『母親だからこそ』
『ハンデがあるからこそ』




諦めるのは、簡単です。



もう、いいです。と、
もう、やめます。と、
そう宣言すればいいだけのことです。





辞めないからこそ、
諦めないからこそ、



そこに、人々は、感動するのかもしれません。




誰にでも、チャンスはあるのです。


でも、自分自身が、それを
信じることが大前提です。



それに気付いたとき、
改めて、自覚を持って努力することから
すべては、動き出します。



2015/03/27

インスピレーション

私は、楽譜と向き合っている時間が
好きで、詩や台詞が、作曲家に音をつけさせた
そのひとつひとつの音価に


しびれるように、
感動して、声に出す時間が
好きです。



それは、誰かに教わったことではありません。


何故なら、
音楽家、ひとりひとりが、
その音を表現する自由を持っているからです。




学校で、生徒として教わるのは、
もっと客観的なことであり、



内部の方までは、絶対的な信頼があれば別ですが、
教えるというのは、神業のようでもあります。


教える側と
教わる側の


立場が、離れていればいるほど、
教わる側の意思と言う、原石の輝きは
くすんでいってしまうおそれもあるほどだと思います。



私は、まだ声楽をどなたかに教えたことはありませんが、
私は、『歌の先生』というのも、視野に考えています。



そのために、今、
長い長い準備をしているのかもしれません。



2015/03/26

それはまるで、映画のように

学校で、練習をしていた教室に
伴奏科の教師が
『練習をしたいのだけれど、30分使わせてもらえないか?』
と、入ってきました。


私は、充分に練習したのもあり、
休憩がてら、先生のピアノの音も聞いてみたいと思い、
先生にピアノをゆずり、


私は、静かな窓の外を眺めながら、
ボーっと椅子に座りました。


しばらくして、先生が
『フッ』という呼吸と共に、
難しそうな曲を弾き始めました。


私は、その音と共に、
自分の楽譜を開き、
ドイツ語をフランス語に訳す作業を始めました。



今、

どこからのアングルで見ても、
とても美しい絵になると、


少しばかり、自分に酔いながら、
先生のピアノと、自分の楽譜に記されていく
鉛筆から流れるフランス語と


静かな窓の外に降る雨に、


黙劇のようなひと時を過ごしました。


30分もたたずして、先生は、
『用事がせまっているので、これで。』
と、どこかへ、行きました。


静かな間が、ふと解禁され、
また日常に戻っていくような感覚と共に
『さよなら』と言い、


私は、またピアノの前に座りました。


今のひと時は、本当に
美しいひと時だったな、と
人知れず、感動しながら。



2015/03/25

波動があがるとき

オペラ・ガルニエという場所は、
私にとってパワースポットです。





建物も圧巻ですが、内部も美しいです。


一歩その中に入ると、まるでそこは
非現実で、時を忘れ、静寂につつまれます。



中央階段の両脇に飾られた像も
天井画も、階段の一段一段も、


呼吸しているように、暖かく、優しいです。


その階段をのぼり、劇場へと入れば、
ため息ばかりの、豪華絢爛さに出会います。



そして、赤い絨毯の椅子に座り、
天井を見上げ、シャンデリアの輝く光と
シャガールの絵。


目の前の舞台には、赤い緞帳があり、
幕があけると、舞台の美術が目に入ります。


美しく、豪華絢爛、歴史ある劇場の持つ暖かさ。


そこで、聴く音楽に、刺激されないわけがありません。


自分の波動があがるのを肌で感じます。


私は、自分のビジョンを今ハッキリと
描き、今はもう、そのことだけを考えて、
日々、精進して参ります。


エネルギーの循環。
私が、できることを、果たしていきます。


2015/03/24

エネルギーの神秘

友人の出演する演奏会へと出かけてきました。



帰宅してから、演奏会の美しい余韻にひたり、
主人も子供たちも静かに眠っている中、

一人で赤ワインをあけてしまいました。


食後のウィスキーも楽しみ、私は
夢心地のまま、眠りにつきました。



そして、今朝、清清しい気持ちで目覚め、
私は、昨夜の写真を眺めていました。



いつものルーティンである一時間の
保育園へと預けるウォーキングを終え、
ストレッチと筋トレをしている最中から、


演奏会で触れた歌手たちのエネルギーを
循環すべき、と私を一心不乱に
ピアノの前へと立たせ、歌いたい衝動にかられました。




そして、気付けば、二時間、
歌い続けていました。


その時の、エネルギーは、
本当に面白いことに、
疲れを知らず、もっとパワーを
与えてくれるのです。


そして、
『さぁ、もっと上へ行こう、それができるのだから』
と、自信に満ち溢れます。



このエネルギーを纏うとき、
この道は、私の道だと確信するときです。


音楽のエネルギーを
循環させるのが、私の仕事です。


さぁ、今日も上へ行こう。
そんなキラキラした神秘的なパワーを。


2015/03/22

ワクワク感

自分にとっていいこと、心地いいことが
その日の気分によって、そうではない、

ということは、そのことは心から望んでいること
ではないのかもしれない、と思い、


何が起きても、
どんな天気でも、どんな体調でも
どんな渋滞でも、どんな環境でも



結局、『それ』をやっていて、
やっている内に、元気になったり
何かを受け取ったり、
好きだな~、いい感じだな~と


思うことは、自分にとって
本当に必要なことなのだなと思う。



私にとって、『それ』が、
譜読み。



言葉に出来ないワクワク感と共に、
それでいて、冷静に、音符を読んでいるときというのは、
疲れも忘れるほどの集中力があります。



と、書いているうちにまた、譜読みをしたくなりました笑


ワクワク感というのは、無敵です。

2015/03/17

愛おしいと思う人

パリに来て、出会う人に恵まれているというのは、
ずっとずっと感じていて、感謝し続けていることです。


私は、その人たちのことを、時々思い出しては
愛おしくてたまらない、感謝の気持ちに溢れます。


本当にありがとうございます。


パリに来て、すぐに元気をわけてくれた
友人のお父様をはじめ、
当時の大家さん、大家さんのご主人、
大家さんのご家族、そして
大家さんの元で下宿していた人たち、


今思えば、本当に彼らがいなければ、
私は、あまりの孤独と寂しさで、
さっさと日本に帰ってきていたと思うくらいです。



かなり、間を飛ばし、


次男出産後の、音楽院に入学したその場でも、
今も学生として通い続けていますが、

本当に、素晴らしい出会いばかりです。


声楽の先生をはじめ、門下生、
その他の学科の先生方、その門下生。


音楽があったからこその繋がりであり、
今の私、今後の私の人生を、豊かにしてくれる
そんな方々ばかりです。



そして、思い出すのは、
ハイヒールコーチの、Asami先生です。


私が、27歳の時に、
『舞台姿を美しくしたい』と
先生のサロンを訪れました。


先生との、出会いで、
私の人生は、180度変わりました。


そして、その後で、音楽院に入り、
沢山のすばらしい方と出会えたのも、
一重に、Asami先生のお教えが
導いてくださっていると言っても
過言ではありません。



先生は、ハイヒールを通して、
沢山のことを、教えてくださっています。


現在形なのは、
今、通っていなくとも、
レッスンを受けた恩恵があるのを感じるからです。


何か、本番があれば、
必ず、Asami先生の凛とした姿を想像し、
先生がついている、と
とっておきのハイヒールを履いて
舞台に立っているからです。



私には、夢があります。


それは、Asami先生を
自分の舞台に招待することですが、



何よりも、
その舞台が、Asami先生の
ハイヒール・レッスンがあったからこそのことだと、


仲間に、言いたいのです。


私がこのように書いたり、
先生ご本人に伝えても、
先生は、いつもご謙遜なさいますが、


私にエネルギーを与えてくださる
太陽のような女性であることは、
私にとって、まぎれもない事実です。


音楽の人生であっても、
先生の人生であっても、
どんな人生であっても、

光り輝く先は、
目指す先は、


同じ。


そんな人々と出会えていることが
たまらなく、愛おしいです。




本当に、いつもありがとうございます。

発音の美意識

ドイツ語、イタリア語に久しく触れていなかったからか、
すっかりそれらの発音がフランス語っぽくなってしまうのは、


いい傾向、ととらえておこうと思います笑



フランス語の母音と言うのは
語学を学んでいる方には解る、
とても繊細な響きをもっています。


表現に換えるのが難しいですが
あえて言うならば、


ミクロの世界が存在するかのようです。


ちょっとした口のあけ方の違い、
単語の意味合いを深く理解し
その母音を放つ音は、


本当に、繊細な作業であり、
それこそ、ミクロ単位で
調整する作業が必要です。


私の今ついている声楽の先生もそうですが、
私の主人もまた、それを聞き分ける


繊細な耳を持っています。


ですから、音楽を奏でる以前に、
フランス語がしっかりとはまっていなければ、
歌わせてもらえません。


今年は、フランス語の曲ばかりを
あえて見てきたので、
主人にも先生にも、スパルタで正してもらってきました。


そして、今、久しぶりに
イタリア語、ドイツ語をさらっていて気付いたことがあります。


どの国の言葉にも、独特の響きがあるということです。

イタリア、フランス、ドイツの
三つの国だけでも、
発語感は異なりますし、


それを、以前とはまた違った
印象を受けるほどまでに、
まったく違います。




今年の9月は、ドイツへ行く予定もありますが、
(予定は未定)
フランスにいては学べない、
生きたドイツ語のシャワーを浴びたいと
強く思いますし、これは歌手人生に於いて
必要不可欠なことだと思います。


イタリア語に関しても同じ事が言えます。


フランス語を徹底して学んだ結果、
語学、その発音の美意識の深さに気づきました。


そして、ドイツ語とイタリア語に関しては、
まだまだ赤ちゃんレベルなのだということも、
肝に銘じて、

身体に入れていこうと思います。



2015/03/15

貫く強さ

3月9日の本番後
一週間、完全にもぬけの殻状態になり
体調が優れずにいました。


というのも、次回、4月5月と、本番があり、
かなり焦っていたのでしょう。

でも、体調が悪い中、焦ったところで
どうしようもない、と開き直ったのです。


体の中に血が流れるように
音楽が流れている私は
常に、音が頭の中から離れないため
そのどっぷりつかっている音楽を
一回忘れるためにも、
気分転換で、セーヌ川沿いを散歩しました。


すると、つがいの白鳥がのんびりと
『えさ、くれるんですか?』と
近づいてきました笑


私は『あげないよ』と答えると
さっさと、そのつがいは
次の人間にスイーっと泳いでいきました。

その、僅かに動いた白鳥の波が
セーヌ川の流れる揺れに呼応しました。

そして、またしばらくすると
いつものセーヌ川の静かな流れに戻り、
そのとき私は、何ともいえない開放感を感じたのです。


今の私は、おそらく
体の中にこういう波が起きていて
その波は、オペラ本番と言う
影響力が大きかったために
ずっと流れが大きく揺れていたと

でも、時間がたてば元通りになると。

抗えない
抗っても仕方ない
そんな波だったのだと。


根本は、セーヌ川のように
私の中に川があるのでしょう。

それは、外部からの影響や
教育からの思い込みで、
異物が混入し、汚染されているかもしれないし
波がたってぐわんぐわんとゆれているのかもしれません。

でも、その川は、
セーヌ川のように、
脈々と自然の法則にしたがって
優雅に流れ続けるのです。

何があっても。


だから、
私は、何があっても
その川は流れ続けてくれているのだと
気付き、開放されました。


川は、流れ続けてくれるのです。


自分でとめても、
流れるくらいの、
とても強い強い川が、


自分を生きる
自分の人生を生きる
強さの象徴で、


それに気付けば、
なにが起きても
貫けるのです。


2015/03/11

生きていてくれてありがとう

3月9日のオペラ本番までに、



新しい出会いがあり、
新しい発見があり、
新しい自分を見つけながら、
一歩一歩歩いた感覚があります。


人と関係する人生、
衝突もあるし、思い通りにいくことも少なくて
疲労ばっかり、、、と思うこともあったけど、


そんなときは、ふと


『感謝感謝』


と、深呼吸をしていました。


この、私の命があり、
関わる人々の命があるからこその


この、エネルギーの交換。


生きているからこそ、の
悩みだったり、悲しみだったり・・・


幸せって、
この、恵まれた時代に
探さないと、まるでないかのような
錯覚に陥りやすいけど、

違う。



もうね、命があることだよ。


そして、この命が絶やされず
ここに、いるってことは、


色んなことを経験していこうってこと。


だから、
生きている、ここにいる
この命に、感謝。



そんなことを、強く思ったし、
大切にしていくことだと思いました。


いつものように、支えてくれる
主人も、息子たちも、
本当に感謝だよ。

お母さんもお父さんも、
みんなみんなに感謝です。


今日も、ありがとうございます。

生きていてくれてありがとうございます。