2014/12/18

打撃からの復活

12月9日の夜のことでした。



バスティーユオペラ座の研修所から


『候補者多数につき、年齢制限を30歳から28歳とする』


というメールを受け取ったのは。




その時の打撃は、
今思えば、やはり相当なものでした。



ディレクターに聞いてもらう気満々で、
準備に惜しみない時間と労力を与えていたのですから、


それが、実ることも無く、
最初から無かった話しにされてしまったのは、

本当に大きな打撃でした。



けれども、私は、泣きも叫びもせずに、
どうにかして、ディレクターとコンタクトを取ろうと
一週間、走り回りました。


オペラ座に縁のある方々皆様に、
どうか、ディレクターに会わせて欲しいと
メールをし、電話をし、直接話しをしにいきました。


私は、どこかで、
これだけの人脈で、きっとどこからか繋がるだろうと
深刻にとらえることができなかったのですが、


ようやく、私には研修所への門は
閉ざされたのだと、理解し、



泣きました。
悔しくて、泣いたのは、本当に久しぶりでした。
憎く、不快に思ったのも久しぶりでした。


そして、元気がなくなったのも久しぶりでした。


手元の日記を読み返せば、
毎日のように、オペラ座について書いてあり、
それは、2014年の1月後半から始まっていました。


この日記は、私にとって魔法のようなもので、
書いたことは、ほとんど現実になってきたものでもあり、


この日記に書いたとしても、
叶わない夢もあるのだと、正直にへこみました。



本気だったのだからこそ、
凹むのは当たり前です。


と同時に、自分の実力の無さも、
痛感しました。



良いサインだと、思っていても、
次から次へと、落とされているようで、
過去のつらい記憶を思い出しました。



それでも、私は、
過去で、そのままとどまらなかった。
前を向いて、光を信じて進んできた。


その結果が、今、こうして、
CRRの音楽院で、歌を続けていること、
そして先月の舞台へと、繋がっています。







だからこそ、その繋がりを知っているからこそ、
悔しくて、憎くて、どうしようもない悲しみの中でも、


私は、前へと進むのです。

進みたいのです。


私は、そうなのです。


ありがたいことに、私には、
家族がいます。

主人からは、しっかりと支えてもらい、
息子たちからもまた、支えてもらっています。

心から癒されています。


私も、家族に感謝をこめて、
歌を続けていきたい。



誰も、その人の願望を奪うことはできない。

できるとしたら、その人自身。



私は、前へと進みます。

いつも、ありがとうございます。