作曲家でありアーティストである
フランス人女性、Yo Claux
彼女がニコニコと私に声をかけてくださった時の
あの瞬間、身体が熱くなりました。
この方、私に何かを与えてくださる方だ、
と、強く感じたのです。
今思うと、初めてなのに、
初めてでないような、
出会うべくして出会ったような感覚があります。
彼女は、日本の俳句から受けた
インスピレーションを音と空間で表現している
アーティストで、
日本人の歌手を探していたのだそうです。
少し、私の話をします。
オペラと言うと、やはり
西洋音楽における豪華絢爛な総合芸術だと思います。
バスティーユ劇場に入りたかったのも、
直に、その温もりある劇場で研鑽を積みたかった
そして、何よりも、日本人でありながらも
西洋の音楽にとけこみたかったのです。
けれども、神様は、そのチャンスを
年齢制限で奪ってしまったのです。
私は、そこで感じたことがあります。
正直に『私の求める世界ではない・・・かも?』
という感覚で、違和感を感じたのです。
それから、葛藤の毎日でした笑
そして、考え抜いた後に、
自分が創造者であるのだから、
オペラという枠にはまろうとせず、
わたし自身が枠を作っちゃえばいい
そう閃きました。
何よりも、歌う場は幸いにもあったのですから、
そこで、しっかりと心を込めて全身全霊で
真剣に歌っていくことへと焦点を変えました。
そのように変わってから、
舞台への意気込みも変わりました。
誰かの真似をいつの間にかして
求められているのではと思い込み
自分の世界ではない歌に、満足しようとしていたのですが、
自分の世界から出てくる
声、歌、表現、間をいかに
緊張感の上で、最大限に出すかということの方が
大事で、満足感も、達成感も
比べ物にならないほどでした。
それでも、あまりにも自分の世界に集中し
今度は、外の世界との繋がりが弱くなったという
本当に、山あり谷ありの経験を経て
昨夜、自分の世界を思うがままに歌ったのです。
そこで出会った、Yo Claux。
今思えば、バスティーユに挑戦できなかったからこそ
こうして、自分の世界に集中すると言う機会を
見つけることができたと思うのです。
あの時の意味を、考えると
その後の自分の行動を省みると
いい機会を与えてくださったと
感謝の気持ちでいっぱいです。
ちょっと長かったですが、笑
乗り越えたときに湧き上がるこの感情。
愛と感謝。
本当に、ありがたいことです。
自分の世界を、次は
別の世界と交わりながら、
広がっていったらいいな、と
思うので
また、毎日コツコツと努力するのみです。
そして、Yo Clauxが俳句を愛するように
私もオペラを愛しています。
日本とフランスの美しさを
併せ持った芸術となりそうで
ワクワクしております。