2018/12/21

知らない自分の可能性

「立体的に譜面を読み取る
ことを、理解しました。」



先日、レッスンを受けて
くださった生徒さんから
メッセージが来ました。




立体的に譜面を読む。




私が言ったわけでも、
教えたわけでもないのですが、
ご本人が、そのように
私のレッスンを
受け取ってくださいました。




私は、目の前の
音楽家、人間の身体を
いかに、整えるか。




そこにフォーカスしており、
そこが整うと、本来、
ご本人が持っていた
感性が華開き始めます。





いわゆる声楽のレッスンではなく、
楽器となる身体のメンテナンス。





そんな内容のレッスンです。





発声を直すでもなく
教えるでもなく、
呼吸を直すでもなく
教えるでもなく
歌い方を伝授するでもなく




ご本人の身体と向き合い、
ご本人の本来の輝く声を
見つけていく一つのステップ。





身体を整えること。





うまくいかないな、
喉を傷めやすいな
思うように表現が
出来なくて苦しい





練習が足りないから
もっと練習しなきゃ






もしかしたら、
身体を整えることで
見えてくるものが
あるかもしれません。











2019年3月より、新しい時間とレッスン料金でのご案内になります。



現在12月~2019年2月末までは、
これまで通りの時間とレッスン料金です。


レッスンのご予約は、
FBメッセンジャーもしくは、
メールにて承っております。
お気軽にどうぞ。

2018/12/17

本当の変化を望む時

人は、ちょっとした意識の違いで、
別人に成り得ることがある。




わずかな差は、いずれ
大きな差になるのだ、
と以前から書かせて
いただいているが、




継続することが大事だ。




ちょっとした意識も、
その場限りで変わる
だけで満足しては、
また元通り。




その意識を継続すること。




その先に、
大きな変化が待っている。





私のレッスンに通ってくださる
音楽家の皆様は、





まず、一回目で、
その変化に驚きます。




その変化を維持すること。




それは、並大抵のことでは
ありません。




コツコツと、努力し続けること。




きっかけを
生かすも殺すも
その意識の違いです。




新しい一歩を踏み出す
決断ができたとき、




もし、私のレッスンの
扉を開かれるのであれば





私は、惜しみなく、
愛を注ぎ、あなたの
成長と進化を
見守っていきます。





2019年3月より、新しい時間とレッスン料金でのご案内になります。



現在12月~2019年2月末までは、
これまで通りの時間とレッスン料金です。


レッスンのご予約は、
FBメッセンジャーもしくは、
メールにて承っております。




2018/11/21

私の支え

自分は歌が軸なのだ。




そう感じる日々を
日本に来て過ごす。





溢れ、飽和状態の
この情報社会で、
一体、何が本物で、
何が偽物なのか。





一切は、混沌とし
正解などないのだ。






では、その中で
何を信じるのか。





それは、己の感性。






少しでも違和感があるなら
私には合わない情報。






その感性は、
一夜漬けで
手に入れた
ものではない。





背中を丸めて生きるか
背筋を伸ばして
生きるか。






己の選択であり
己の歩いた道程







そして、今の選択が
未来を連れてくる。





私は、歌を歌い、
使命感と共に、
楽譜と向き合う。






自分の感性に
耳を傾け、
研ぎ澄ますには
日常の生き方が
如実に反映される。





それこそ、背中を
丸めて生きているか
背筋を伸ばそうと
意識して生きているか。






それだけの差。








ぶれぬ軸は、
私を支える。

2018/11/15

情熱の限りを尽くす

ブログの書き方すら
思い出せないほどの
久しぶりの投稿だ。



昨年、12月には
フランスを離れ、
日本で物件探し



あっという間に
一年が経とうと
している現実。



ふと思い立ち
ブログを書こう
久しぶりに熱を
感じる感覚。




去る11月11日は
私の34回目の誕生日。




この日、私は、
神奈川県民ホールへ
友人が出演する
演奏会へと足を運んだ。




足元には、ハイヒール。




Parisでずっと履いた
大切なハイヒール。



踵に体重を乗せることなく
一歩一歩ぶれずに歩く。




骨盤を動かさず、
インナーマッスルを
連動させ、スっと
出す片足、支える片足
その連続で、歩く。





美しく歩くことは
芸術であり、
芸術とは、己の
精神の表れに過ぎない。




足元がハイヒール




たったそれだけの
条件にも関わらず
圧倒的なオーラを
纏うことができる。





私は、生きている




そう感じた。




スニーカーや
ヒールのない
靴でももちろん
美しさがあり、




美しく鍛え上げられた
夏の裸足のバカンスなど
本当にうっとりするものだ。



けれど、それは、
一回でもいい、
ハイヒールを
正しく履くこと。




この筋肉が
その美しさを
造り出している。




日本では、
女であろうとすることに
意識が薄れているか、
女であることがまるで
悪かのように
とらわれているが、




特に、母親という
女性に対して。




母親であろうが





女は女である。




女を忘れずに、
あきらめずに
生き抜いていくことは




情熱の限りを尽くすこと。





私は、確固たる信念をもって
これからも、生きる。